ブログ日本200名山

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夕張山地の鋭鋒 ― 芦別岳(1,726.9m) 
芦別岳(あしべつだけ)は、夕張山地の最高峰。
語源はアイヌ語で「Hasハシ(潅木)petペト(川)」だとか
(「アイヌ語地名で旅する北海道」北道邦彦著)。
北海道では数少ない岩稜のルートを持ち、北海道の岳人に愛されてきたという。
迫力のある北尾根を行くのが旧道コース。
新道コースは樹林帯の尾根を行く近道コース。

本当は、旧道コースに魅力を感じていたんだけど、
21日朝は、霧雨。
カムエクの疲労も考えて、新道往復に。

富良野の、まーっすぐな道を山裾に走り、新道登山口を6時発。
ここにも、「熊出没注意」の看板が。
もう、熊の恐怖にもマヒしちゃっていけない。
芦別岳登山道200721
時々小雨のぱらつく登山道は、深い森。
特に見上げるようなミズナラの大木が多い。そしてダケカンバ。
カムエクじゃ、川沿いが多く、木を見る余裕もなかったから、
北海道の原生林をしみじみ眺めつつ進む。
「呻吟坂序曲」の看板あり。ううむ、手ごわいか。
でも、次に「呻吟坂負けるな」とあってこれで看板おしまい。
序曲があったら、格調高く第1楽章につなげてほしかった。。

登りは緩急をつけながら、鶯谷(1,114m)、半面山(1,397m)と
小ピークを越えていく。
本当なら、富良野盆地や、山頂の好展望台なんでしょう。
熊の沼には大きくなりすぎた水芭蕉。
芦別岳チングルマ200721
雲母峰を越えるとうすぼんやりと片流れの山頂が。
このあたりから、高山植物が豊富になる。
チングルマの群落やチシマフウロが雨に濡れる姿も捨てがたい。

花畑を詰めると、頂上部は岩峰。
足元を確かめながら、よじ登ると、ハイマツの下にエゾリス君が。

どっこいしょで、10時30分山頂に立つ。
チシマキキョウが咲く岩の上、霧が少し晴れ、旧道コースの斜面が。
誘われる景色だな。 
エゾリス200721




富良野盆地を眺める200721元来た道を下山。
そのうち、霧が切れ、麦秋の富良野盆地が眼下に。
旧道コースの厳しい稜線も、見えてきた。

14時45分、登山口に。ふう。
いかん、8時間45分「しか」歩いていないって感じてしまう。。
霧の中だったけれど、岩峰の迫力、展望、お花畑、
総合得点が高い。
また、いつか、旧道コースにチャレンジしたいと思える名山でした。
(カムエクはねえ、再チャレンジはちょっとカンベン。)

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| 管理人 ぼっち | 日本200名山 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(4) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
移動日(帯広から占冠 湯の沢温泉へ)
ビバークの夜は長いような、短いような。
札内川の川面がぼんやり浮かびかかり、林の中で駒鳥がさえずりはじめ、
そして、待ちかねた朝がやってきた。
焚き火を消して、出発。

明るくなると、踏み跡や、ケルンがよく分かるのに
闇の中ではどうしようもなかった。
4時45分七ノ沢出合のテントに到着。
この後、8時まで爆睡。

テントを畳み、日高横断道(になるはずだった道)を、2時間。
カムエクを目指す人たちと、何度も出会う。
単独行の人もいるし、熊よけスプレーを携帯している人なんてなさそう。
大丈夫かなあ。(←なんて、危ない思いをしたのは、こっちでした(反省))

明日は富良野から夕張山地の200名山、芦別岳に上る計画だから、
20日はまるまる移動日。まあ、のんびりいきましょう。

庭いじりも好きなぼっちには帯広で行きたいところがひとつあった。
それは、紫竹ガーデンという1万8千坪に及ぶ広大な庭。
1989年に夫を失った62歳の紫竹のおばあさんが、それからの人生を「野に咲く花のようなガーデンを作ろう」と決意され、独力で作り上げられたもの。
紫竹ガーデン200720
帯広の広大な農場地帯に突然現れる庭。
100mに及ぶボーダー花壇とか、とにかくスケールが北海道。
それに好ましいのは、宿根草を生かして、ゆったり茂らせ、作為が目立ちすぎないところ。
紫竹ガーデンの池200720
特に、睡蓮の浮かぶ池は、さまざまな色彩が調和しながら水面に映え美しい。
―なんて、感動してたのはぼっち一人、
Noさん、Yaさんは、入口のところでソフトクリーム食っておられました。
(お疲れのところ引きずり回してすいません。。)

霧の日勝峠を越え、日高山脈館で小休止してお勉強、占冠村の湯の沢温泉に到着。
熱くて塩辛い温泉とピールに癒されまくり。
| 管理人 ぼっち | ひとりごと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
挑戦! カムイエクウチカウシ山 ― その3
カムエクの稜線にガスのかかる200719カムエク山頂に到着したのは12時半。
登りに8時間半あまりかかったことになる。
下山にかかる頃、霧が稜線を覆いはじめた。
さあ、先は長いから急がなくちゃ。

八ノ沢カールの花200719
八ノ沢カールで、空になったペットボトルに冷たい水を汲みながら、淡い紫のチシマフウロや、瑠璃色のエゾミヤマクワガタ、黄金色のキンバイなどを目に焼き付ける。
この美しい静かな場所に、また来ることはあるんだろうか。
斜面を降りだす頃、あいにくの雨。
濡れると石の表情も、コンディションも登りとは一変。
ルートファインディングに手間取り、ピッチが思うようにあがらない。
岩屑の斜面は、右手が滝のかかる崖で、ひやひや。
念のために、ここまで飾り物だったヘルメットを着用。
雨は、長くは続かないけど、意外に沢が増水。
渓流シューズに履き替え渡渉開始。

八ノ沢出合に着くと、もう17時50分。
このままじゃ、日没までに、七ノ沢出会いに戻れない。
その言葉を皆飲みこんでいる。
1分が惜しいが、10分休憩の声がかかる。
みんな脚にきている。

札内川本流も増水している。
往きの渡渉ポイントがどこかもうよく分からない。
川岸でテントを張っていた地元っぽい人が、
「ここを渡るのが一番の難所。後は、対岸の茂みの踏み跡をたどっていけばいい」
とアドバイスを下さる。
念のためYさんがザイルを出し、ぼっちがトップで渡渉。
日頃ボディパンプで鍛えた基礎体力が役に立つ。
テントの方にも手伝ってもらい、無事渡渉。ふう。。

さあ、ここからが長丁場。
往きには気がつかなかったしっかりした踏み跡がずっと続いている。
迫る夕闇に追われながらどんどん急ぐ。

ああ! 崖が迫り、道が追えなくなった。
「もう、少しだから」
トップのYさんが、本当に暮れるまでに何とかこのポイントを突破しようと、笹や大きな蕗の葉をわさわさ薙ぎながら進まれる。
―あの、ヒグマいたら恐いんですけど…

とうとう日が暮れてしまったので、撤退しましょうとトップを交替。
ヘッドライトでルートがはっきりしていた地点までまで戻る。
ケルンを見つけ、ザイルを巻きつけ中州になった対岸に渡渉。
「もうこれ以上動かない方がいいみたいですね」
ビバークを決断。時計は20時を回っていた。

木立の中は恐いので、河原との接点に、大きな蕗の葉を敷く。
お守りで携帯していた、固形アルコールを使い、焚き火を起こす。
雨で少し濡れた枯れ木に何とか火が回ってくれた。
Yさんは、鋸を携帯されていて、立ち枯れの枝をうまく薪にしてくださる。
熊よけスプレーも持ってて良かった。
非常時用の装備ってあなどれないなあ。
焚き火200719
焚き火ってすごい。
濡れたシャツを乾かしてくれるし、体が温まる。
おまけに、煙たいからか、ヘッドランプにまとわりついていたブヨもいなくなった。
何より、その暖かい色が心を落ち着かせてくれる。
Yさんがウイスキーの小瓶を出してくれた。

後は、絶え間ない川の音をききながら、火を守ること。
それしか、夜明けまですることがない。
| 管理人 ぼっち | 日本200名山 | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
挑戦! カムイエクウチカウシ山 ― その2
翌18日は3時起床。
テントから首だけ出すと、霧は出てるけどまずまずの天気。
朝食を済ませ3:50出発。
渡渉シューズに履き替えて、札内川にざんぶり。
ここからは、開発の手が及んでいない、日高の自然が待っている。
札内川200719
札内川本流は、水量豊富で、渡渉の場所も限られる。
蛇行する河原を、ルートファインディング。
標識のたぐいは、まったくなし。
日高横断道540億の、せめて10万分の1でも使ったらどうだい(怒)。
少しのテープや、ケルンを頼りに、右岸から左岸へ、左岸から右岸へ。


6:00やっと八ノ沢出合に到着。
もさっとした草むらにテントが二張り。もう先発してる。
カムイエクウチカウシ山八ノ沢200719
ここから八ノ沢を遡行。
谷が狭くなる分、ルートファインディングの労力は減るが、渡渉を繰り返すうち、だんだん急登に。
谷の奥に、残雪の稜線が見えてくる。
ひと上りして、三股という、前をふさぐ岩肌に3本の滝がかかる場所に出る。
ルートには残雪はなく、やっと渓流シューズから登山靴に。
八ノ沢登り200719
滝の向かって右側を巻きながら高度を稼ぐ。
このあたりから、ヨツバシオガマやハクサンチドリなど高山植物がちらほら
滝壺を覗き込みながらの急登のルートは、岩屑が崩れそう。
3人間隔を詰めながら慎重にルートを取る。

八ノ沢カール200719
沢は細くなり胸突きの斜面を登ると、八ノ沢カールに。
おお! ここがあの福岡大学生3名がヒグマに命を落とした場所かあ。
岩に、その名を彫ったプレートが。
ガイドブックに、カールに着いたらまず、ヒグマの姿がないか確認とあったので、見回す。
残雪と高山植物をちりばめた、カールの斜面に姿なし。
よかったあ。


ヒグマの恐怖さえなければ、清らかなせせらぎが流れ、花は咲き、人影はなく、最高のテン場。
プレートの裏側に続く踏み跡をたどり、斜面に取り付く。
お花畑に這い松。すばらしい山頂への道。
だけど、刈り払いされていないため、くたびれた脚が這い松に脚をとられるのはけっこうしんどい。
稜線に出ると、反対側の斜面の、コイボクカールが見下ろせる。
ここで、単独行のオジサンの初めてすれ違う。
勇気あるなあ。。
カムイエクウチカウシ山200719
最後のひと登りで、1979.4mの山頂に躍り出る。
3人がっちり握手。
関西弁の先発隊3名と挨拶。
その方たちが降りてしまうと、山頂は静か。
たったひとつのちゃちな手作りのプレートは、半分に割れて、「ウチカウシ山」になってる。
それを持って記念撮影。
| 管理人 ぼっち | 日本200名山 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
挑戦! カムイエクウチカウシ山(1,979.4m)
7月18日、雷雨の名古屋空港から、20分遅れで12時25分とかち帯広空港に到着。
いよいよ、あの日本200名山中最難関のカムイエクウチカウシ山への挑戦が始まる。
メンバーは、ぼっちの山の会で、最も硬派な、Noさん、Yaさんと3名トリオ。
とかち帯広空港のヒグマ200718
空港の荷物受け取りで、出迎えてくれたのが、ヒグマ君。
もう、最初からおどかさないでほしいな。

レンタカーを借り、まずは帯広へ。
飛行機に持ち込めない、ガスボンベと、熊よけスプレーを受け取りに、宅急便の営業所に寄ったり、買出しをしていたら、どんどん時間が過ぎていく。

日高横断道遺跡200718
札内川に沿ってさかのぼり、やっと登山口に到着したのは15:45。
ここからは、ザックを背負い、やたら立派な道路歩き。
立派なのも当たり前。これは、約540億円も投資し、「投資効果なし」で中断された「日高横断道」の一部。
しかも今は、車が通行できないようにゲートを3箇所も閉ざし、登山者はご大層な覆道などを2時間も歩かされちゃうから、怒りは増幅。


林道終点の七ノ沢出合には、17:20到着。
本当は、ここから約2時間、札内川を渡渉し、八ノ沢出合までテントを担ぎ上げておきたかったけど、それもできず、ここで一夜を過ごすことに。
夕飯は、ヒグマを刺激しないように、匂いの少なそうなレトルトの親子丼をぼそぼそ。

いよいよ、明日は、カムイエクウチカウシ山、北海道の岳人は「カムエク」と、憧れを込めて呼ぶ、難峰に挑戦!
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| 管理人 ぼっち | 日本200名山 | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
「日本の川を甦らせた技師デ・レイケ」
東京出張の時は、時間の許すかぎり立ち寄るのが、神田神保町。
新・古書店、スポーツ・登山用品店、おまけに一人で入りやすい飲食店が充実してて、
文句なしに楽しい。
今回は、南洋堂という書店で、「日本の川を甦らせた技師デレイケ」という本に出会った。

デレイケ200715技師ヨハニス・デ・レイケは、明治初期、オランダから招かれ、水利技術の基礎を伝えた技術者。
ぼっちなど、木曽三川(木曽・長良・揖斐川)の近くに住む者にとっては、水害の多かったこの地域を、洪水の不安から救ってくれた恩人であります。

明治維新の頃、日本の山や川は荒廃しきっていた。
それは、次のような事情のよう。
江戸時代、各藩は領内の米の生産量を増やすため、山腹を開墾した。
そのためむき出しになった山の斜面などから大量の土砂が河川に流れ込んだ。
各藩に川の流れ全体をコントロールする発想はない。
さらに幕府の力が弱まると、川や山林に対する取り締まりが緩くなり、幕末の動乱期に無秩序に伐採が行われた。(幕末の伊勢神宮の荒廃と同じことがどこでもあったよう。)


明治新政府が国を興そうにも、淀川や大阪港などは土砂に埋まり、川も港も使い物にならないありさま(鉄道なんかない時代です)。
で、手っ取り早く、ヨーロッパから破格の待遇で技師を招いた。
そのうち、河川改修などに雇われたのが、国土の1/4は海面より低く、技術の発達したオランダ。

明治6年にやって来たデ・レイケは、淀川改修などに成果をあげ、明治13年、当時内務卿であった松方正義の視察に際して次のような書簡を読み上げた。
「現在、下流の平野部にたいへんなトラブルをもたらしている、ここに見られるような破壊、破滅は決して自然にそうなったのではありません。人間のなせる業(わざ)なのです。もし住民が好き勝手にしてもよく、彼らの根こそぎとってしまうという習慣を、強力で厳格な法律によって止めさせなければ、次世代には、このあたりは砂だらけになり、下流部は危険で無用な川のある沼地しかならないでしょう。すでに現時点でも、平野部下流でこの土砂によるトラブルが大きくなっています。私たちの仕事もあまり役立ってはおりません。閣下のここへのご臨席が、この国のもっとも嘆かわしい悪弊のひとつをやめさせるようになることを心から望むものでございます。」
当時の日本人には、耳に痛い話で、拍手もまばらだった。
しかし、松方は、書簡を受け取り、デ・レイケに「とてもいい話だ」と言ったという。

デ・レイケは職人出身で身分が低かったが、他の技術者が、短期で契約を打ち切られ、あるいは自ら去っていったのに、30年余も日本で働き、淀川の改修、九頭竜川と三国港の改修、木曽三川の改修など大きな仕事をなしとげていった。
その手法は、日本伝統の木の杭を打ち込む「杭打ち水制」でも、イギリス流の鉄やコンクリート多用型でもなく、粗朶(そだ)を敷きこみ水の力をうまく減衰させるもの。この方法だと乱伐も避けられる。
また、砂防ダムの基礎となる思想や工事の体系を構築したのも彼。
彼が働き続けたのは、オランダに帰した大家族のためもあるだろうが、何より災害に悩む人々苦しみが分かり、仕事に誠実であったことによるのだろう。

今、われわれにとって、日本の山河は、過去からずっと今のようにあった錯覚があるのでは。
だから、今ある自然に手を加えることが、すべて改悪である気がしてしまったり、自然の力を借りながら今以上に住み良い社会を作るというのは、理想論に思えてしまったりするかも。
しかし、実際には山の緑を復活させ、河川の氾濫を鎮めてきたデ・レイケはじめ先人の恵みをわれわれは受けている。

地球温暖化問題が切実になってきている今だって、皆がエゴを少し引っ込めて、皆の力で何ができるか考えれば、やるべき道筋がきっと見えてくるはず。
「広い目で考え・行動する」ことが、大切なんだなと考え込まされた。
| 管理人 ぼっち | ひとりごと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(3) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
海に沿う山々 ― 西方ヶ岳、蠑螺ヶ岳縦走
山ばっかりのぼっち。実は、海も嫌いじゃない。
でも、人混みだけはどうにも苦手。
で、梅雨の中休みに、近場の敦賀半島へ静かな海を見に行ったりしてますです。

その敦賀半島に蠑螺(さざえ)ヶ岳って山があるらしい。
何だか、そそられる山名。
標高764.1mの半島最高峰の西方ヶ岳と 蠑螺ヶ岳を縦走するのが一般的とか。
7月5日は、週末に晴れマーク。
愛車ハリヤー!に、MTBのルイガノ君を載せ(←何でも人名にしたがる)いざ出発!
常宮神社登山口200705
登山口は、神功皇后の伝説を持つ常宮神社という海岸沿いの神社から。
何だか登山というより、釣りに行った方がいいんじゃない? ってたたずまい。



標高ほぼ0メートルから登りだすと、じりじり太陽が照りつける。
湿度も高いので、タオルで汗を拭き拭き進む。
しばらくで、ウラジロなどが生える照葉樹林帯に入り、しのぎやすくなる。
銀名水という泉が岩の間から湧いていて、ここが中間点。

登山道は、さっぱり整備されていて、登山客4名を追い越す。
結構人気があるんだな。
しばらく急登するとオーム岩という花崗岩の大岩が突き出し、敦賀湾が一望。
このあたりから、若いブナの木が目立ちだす。
潮風に吹かれる場所にしてはしっとりした風情。

蠑螺ヶ岳200705
やがて、西方ヶ岳山頂に到着。標識のある台地に、三角形の避難小屋。
小屋の前に1メートルあまりの蛇の抜け殻発見。
ちょっとびくびく。でも、自然が豊富ってことにしておこう。
台地の少し下手に刈払いがあり、そこにも大岩。
これから向かう半島の先を望む。
ぼんやり海と空が溶けた空間を、船が白い航跡を残していく。


笹百合200705
ここからは、蠑螺ヶ岳への縦走路。もう誰とも出会わない。
木立の間からは、青い色。半島の縦走は、宙に浮かぶ気分。
中間地点にカモシカ台の大岩。
西方面の展望も開け、半島の先端が近くなる。

エゾアジサイや、笹百合などの花に慰められながら、汗だくで進み、蠑螺ヶ岳山頂(685.5m)に到着。

西方ヶ岳200705
おもむろに、リュックから保冷バックを取り出す。
へへへ、西瓜の登場。
照りつける太陽の下、山頂で海を眺めながら西瓜を食う…なんて理想的な夏の姿では。
(←そんな理想誰も追っかけてない?)

ここから、浦底という集落に向けて下山。
長命水というせせらぎの水場を過ぎ、むっとする夏の中に戻ると、ルイガノ君が待っていてくれた。

色が浜のルイガノ200705
フィナーレは、半島を自転車でツーリング。
色が浜、手ノ浦など海岸線に沿って漕いでいく。
プライベートビーチのように空いた海水浴場の白い砂。
その砂も、あの山々の花崗岩が風化したものなんだなと思うと、山も海もみんな愛おしい。

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| 管理人 ぼっち | その他の山 | 11:16 | comments(0) | trackbacks(1) | にほんブログ村 アウトドアブログへ←アウトドアブログのランキングです クリックよろしく!
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